最終鬼畜アシュリー


(どうしてだ?)

(なんでこんな事になってるんだろう)

レオンは汗ばんだ手で涙を拭う。が、すぐに溢れ出てきた涙で、また視界がぼやける。
濡れた音と、荒い呼吸だけが不規則に耳を犯す。
もう一度涙を拭おうと手を動かした。しかし、途中で大きな手に捕らわれ、柔らかなベッドへ縫いつけられてしまう。

(どうして)

もうやめてくれ。そう云いたいけれども、嗚咽や、悲鳴のような声しか出せない。
自分が出しているその鳴き声は、抑制を訴える響きなど微塵もなくて、
逆に『もっと』と強請るような色だ。
涙を零しながら、疑問だけがレオンの頭に浮かぶ。答えは誰も与えてくれない。
意識ではもう限界だと思うのに、身体は貪欲な反応を示してしまう。
下肢にまた、強烈な刺激が走った。
内臓を引きずり出されるんじゃないかとさえ思える動きに、意識を手放しそうになる。
意識を手放しそうになると、ふいに動きが緩やかになり、
いっそ手放せれば楽なのに。と、思う内心を見透かされているような気がした。
触れられた部分が、身体が。
熱い。



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「っ……」
ずるり、と引き抜かれる感覚にレオンの顔が歪む。
ケビンは微笑うと覆い被さるようにして、汗ばんだレオンの額に軽くキスを落とした。
すると、セックスはこれで終わりだろう?と云うかのように、突然携帯が鳴り出した。
「「うわっ」」
ふたりで声を上げて驚き、どっちのだ?と慌てて起きる。
「お前のだ!」ケビンはテーブルから携帯を掴むと、レオンの手元に放った。
レオンはろくに相手を確かめもせず通話ボタンを押した。

『レオン?』
相手の声は若い女だ。すぐ近くに居るケビンにも微かに聞こえているようで、コンドームを外しながら
ニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべレオンを見ている。
一方、レオンは時が止まったように硬直した。
『聞こえてる?わたし、アシュリーよ。覚えてる?レオン?』
「あ、ああ……聞こえてるし、勿論覚えてるよ。どうしたんだ?アシュリー」
戸惑いながら答えると、レオンは床に転がっている時計を見た。針は夜の10時を指している。

『あのね、突然で悪いんだけど、明日会えないかしら?』
「明日?」
レオンは思わずケビンを見た。ケビンも笑みを消し、レオンを見返す。
「(明日は、クリスが、帰ってくんじゃ、ねーの?)」
ケビンが口パクに近い小声でレオンに云う。レオンは小さく頷いた。
そう、クリスが明日、やってくるのだ。だから明日は、ちょっと……いや、かなり困る。
しかも夜8時までは仕事で拘束される。都合が悪すぎだ。
『明日、私のバースデーパーティーを開くの。レオンに是非、来て貰いたいんだけど』
「アシュリー、悪いが明日は」
断ろうとするレオンの言葉を、アシュリーは強引に切った。
『お友達も、連れてきてくれて構わないわ。ひとりでもふたりでも、もっとでも。
 今回は人数の少ない会だから、寧ろ連れてきてくれると嬉しいし。
 ○○○ホテルのレストランを貸し切ってあるから、そうね、夜7時に来てくれるかしら?
 場所は知ってるわよね?有名なとこだし』
「仕事が」
『ちなみに明日のレオンの仕事はオフになってる筈よ?パパにお願いしたから。この後すぐ連絡が来ると思うわ』
「……」

パパ=大統領命令、じゃないか。見事な戦略に次の言葉が出ない。レオンは髪を掻き上げた。
『じゃ、そーゆーことで、宜しくね。レオンに会えるの楽しみにしてるから』
「……アシュリー」
『なぁに?』
「わかった。わかったが……、ひとつ訊かせてくれ。なんで俺の携帯の番号を知ってるんだ?」
『神様が教えてくださったのよ。権力という名前の神様。それじゃ、おやすみなさい』
プチ、と通話が切られ、携帯を握りしめたままレオンは脱力した。肩を落としたレオンの頭を撫でると、ケビンは笑う。
「お前、ほんっと女運無いんだなー。全部聞こえたけど、俺も行こうかな。○○○ホテルってすげーじゃん。
 四つ星?五つ星?飯美味いんだろうなぁ。あ、クリスも連れてくだろ?」
レオンは好きにしてくれ、とベッドに顔を伏せる。

ケビンは自分の携帯を手に取り、「デビットも誘ってみよ」と云って電話をかけ始めた。
「ああ、寝てたか?悪い悪い。……今?俺?レオンとこ。またとか云うなよ。
 明日さ、○○○ホテルのレストランで見たことないけど可愛い女の子のバースデーパーティーが」
そこでケビンの声が止まり、レオンの耳に、低い男の声が微かに届いた。
ケビンは舌打ちすると、切られたらしい携帯に向かって「ばーか!」と文句を云い、舌を出す。
「あいつ、こっちが喋ってるのに『クソが』とか云って切りやがった」
それはそれは、正しい判断で。レオンはそう思いつつ、欠伸をした。

握りしめたままのレオンの携帯が再び鳴り出す。きっと上層部からの電話だ。明日の話だろう。
『お前は明日オフになった』、そういう内容に違いない。





翌朝クリスが来るなり、スーツをレンタルしに向かった。
レオンとケビンは一応持っているので用意は出来るが、クリスは何も知らずにいつもの少ない手荷物で
ヨーロッパからやってきたので、レンタルする以外の術はない。
(俺は別に行かなくてもいいんじゃないのか?)
事情を簡単に聞き、クリスはそう思ったが、レオンが「頼むから」と云うので承諾した。
まさかこんな展開が待っているとは思わなかった。さすがアメリカ。母国ながら大した国だとクリスは思う。

三人共スーツ、というのは初めてのことで、それぞれが内心で酷く違和感を覚える。
「ヒゲ、剃ればよかったかな?」
んー、と自分の不精した髭をじょりじょりさすりながら、ケビンが云う。
「何度も云っておくけど、相手は一応、現大統領の娘だからな」
レオンは十も年上のケビンに、釘を刺した。クリスはその光景が可笑しくて笑う。
「まぁ、個人的なパーティーだろうし、大丈夫だろ。心配しすぎだぜレオン」
ぽん、と肩を叩かれて、レオンはクリスを見上げた。
クリスが居てくれて助かった気がする。とレオンは内心で安堵の息を吐く。
それにスーツ姿のクリスなんて、なかなか目にする機会が無い。逞しい身体なだけにスーツで気張ると余計『頼れる』気がした。

ご丁寧に夕刻レオンのアパートまで迎えのハイヤーがやってきて、指定されたホテルへと向かった。
自分たちでは絶対に、泊まるどころか食事をしに来る機会も無い、有名な高級ホテルだ。
時間通りにレストランへ向かうと、店の前には『本日貸し切り』とプレートが掲げてあった。
入り口でレオンが名前を告げる。手慣れた店員が恭しく「どうぞ」と中へ招いた。

人数の少ないパーティー、とアシュリーは云っていたが、薄暗い店内を見渡すと『少ない』どころか、『居ない』に等しい。
三人の他に、居るのはウェイター達と、
気配を殺しているセキュリティ・ポリス(多分アシュリーの護衛だろう)が、何人か居るのみだ。
「どういうことだ?」
案内された席に腰掛けると、小首を傾げてレオンは零した。
「こっちが訊きたい」ケビンが頬杖をついて答える。
「そのうち、誰か来るんじゃないか?」クリスはのんびりとした口調で答えた。

そこへ、明るい声が降ってくる。
「レオン!来てくれたのね」
振り返ると、濃いブルーのドレスを着たアシュリーが歩いてくるのが見えた。
「アシュリー」
レオンが席を立って、アシュリーへ歩み寄る。ハグを交わすと、レオンは対女性用のスマイルを浮かべた。
「綺麗になったな」感嘆とした声色で云うと、アシュリーはニッコリ笑う。「本当?嬉しいわ」
「髪も伸びたから、大人っぽく見える」
「21歳よ、あの事件の時だってとっくに大人よ。……レオン、お友達連れてきてくれたのね?紹介して?」
お友達、と聞いてレオンはハッとした。そうだ。どうして自分たち以外に招かれた人がいないのか。
「その前にアシュリー、他の招待客は?」
レオンの問いにアシュリーは「あら」と、とぼけた顔を作って、続けて答えた。
「そんなの、レオン達だけに決まってるでしょ?見てわからない?」
それを聞いて、レオンは片手で額を押さえた。負けだ。完璧に、俺の負けだ。
ケビンとクリスがクスクスと笑っているのを横目で睨む。
「さ、食事が運ばれてくる前に、紹介してちょうだい?」アシュリーはそう言うと、レオンを席へ促した。

「こっちがケビン。そしてこっちがクリス。……クリス、ケビン。この子がアシュリー」
まともに紹介する気の起きないレオンがまともじゃない紹介を済ますと、アシュリーは頬を膨らました。
「なにそれ、ちっとも紹介になってないわ。見た感じだと、ふたりともレオンより年上よね?」
ケビンとクリスは微笑いながら頷く。
「俺がレオンより10歳位、上かな。クリスは4つか?」ケビンが云うと、アシュリーは「驚いた!」と声を上げた。
「ケビンってそんなに上なのね?とっても若く見えるわ」
そうして暫く、レオンを除いた男二人・女一人の間で話の花が咲く。

手持ち無沙汰だな、と会話に取り残されたレオンがそう思っていた頃、ワインボトルを手に店員がやってきた。
「ここのワイン、とっても美味しいの。とっておきのを用意して貰ったのよ」
とくとくとく、とグラスにワインが注がれる。
「今日は本当に、来てくれてありがとう」
アシュリーは白い歯を見せて笑うと、レオンを見た。レオンはその笑顔を見て、まぁいいか、と思い直す。
誘拐事件から立ち直って、こんなに綺麗な笑顔を浮かべるアシュリーを直に確認出来たのは、良い事だ。
「誕生日、おめでとう。……プレゼントを用意する時間が無くて、申し訳ない」
グラスを手にレオンが云うと、アシュリーは「レオンが来てくれたことが最高のプレゼントだわ」と嬉しそうに云った。

無難な会話を交わしながら食事を進めていると、クリスはレオンの異変に気付いた。
呼吸が浅く、速い。目も、とろんとしている。
「おい、レオン。大丈夫か?」声をかけると、レオンは一拍置いて、「……?……ああ」と答えた。
だめだ、酔ってるな。
クリスはそう判断しつつも疑問に思った。
(たかがグラス二杯程度のワインで酔う程、弱くは無い筈だけどな)
「なんだ、こんな弱かったか?お前」ケビンも、レオンがそこまで酒に弱いとは認識していないようだ。
レオンはタイを緩めると、そのままテーブルに伏せた。

「「レオン!?」」
クリスとケビンが同時に声を上げる。
アシュリーはうっすら微笑むと、「あらら、レオンってお酒に弱いのね?」と落ち着いた声で云った。
余りにも落ち着いた声に、クリスは違和感を覚えてアシュリーを振り返る。
「もしかして、アシュリー……レオンに何か」
「とんでもないわ。レオン、具合悪そうだし、お開きにしましょうか?ホテルの部屋を取ってあるから、
 みなさん今夜はここで休んでいってね。私も今晩はここに泊まるから、また明日の朝に」
手際よくカードキーを差し出すアシュリーに、ケビンとクリスは薄ら寒いものを感じた。
が、まぁこれじゃどうしようもないし、別段敵意を感じるわけでもない。
仕方なくふたりでレオンを抱えて、カードキーに刻印されたナンバーの部屋へ向かうことにした。

どう考えてもスイート・ルームがあるだろう階を目指すエレベーターの中で、クリスはケビンに「どう思う?」と尋ねる。
「どうって?」
「いくらレオンが疲れていたとしても、あの程度の酒には呑まれないだろ?」
二人で両脇から抱えたレオンはすっかり意識が無い。ケビンは「そーだなー……」と考えるように云った。
チン、と音が鳴り、目的の階に着く。部屋のドアには思った通りスイート・ルームの表記があり、そこでケビンは口を開いた。
「ま、いいんじゃねーの?どーでも」
期待はしていなかったが、のほほんとしたケビンの返事にクリスは溜息をつく。

8人は座れそうな豪華なソファセット、大きな液晶テレビ、アンティーク調の家具や置物などがある部屋を抜けて、
奥のベッドルームへとレオンを運ぶ。恐ろしい位に存在感たっぷりのキングサイズのベッドに出迎えられ、ケビンとクリスは苦笑する。
「三人でこのベッドで寝ろ、って事か?」呆れた声のケビンに、クリスは「……そういう事なんだろうな」と云う事しか出来ない。
ふたりがかりでレオンのスーツを脱がし、下着一枚でベッドに寝かせた。肌触りの良い毛布を肩までかけてやる。
皺にならないよう、脱がしたレオンのスーツをクローゼットに掛けるついでに、二人も上着を脱いだ。
「やれやれ」
どちらともなくそう呟いて、ベッドルームの照明を落とし手前の部屋へと戻った。





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